母の日に子供へ残したいもの:知育玩具より大切な夫婦の空気

前回の記事で書いた「家の空気感」のこと
母の日ですね。
子供がいる人は母親である自分について考える人は多いと思います。
前回の記事では、産後から数年の間に夫婦関係が変わっていくこと、そして子供は親の説明よりも家の空気を覚えている、という話を書きました。
私は良い母親なのか。
子供のためにちゃんとできているのか。
夫婦仲が悪いことで、子供を傷つけていないか。
そして、そして、頭をよぎるのは・・・
子供のためには、離婚した方がいいのだろうか?
このまま両親が不仲な家庭で育つ方が、子供に悪いし可哀想ではないか?
というエンドレスな問い。
SNSの言葉が、少し引っかかる理由
SNSには、気持ちが軽くなる言葉がたくさんあります。
母親が幸せなら子供も幸せ。
母である前に一人の女性。
我慢は毒。
自分の人生を生きよう。
どれも間違いではありません。
救われる人も沢山いると思います。
でも、ふと思うのです。
以前書いたかもしれませんが、
これを父親に置き換えたら、同じように受け入れられるでしょうか?
父である前に一人の男性。
父親が幸せなら子供も幸せ。
子供のために自分を犠牲にする父親である必要はない。
たぶん、かなりの確率で炎上しそう。
もちろん母親だけに背負わせすぎているものもあるとは思いますが、
ちょっと複雑に感じるのは私だけでしょうか?
母の日に、本当に欲しいもの
母の日に欲しいものは、花でもカードでもプレゼントでもないという人は意外と多いのでは?
一人で寝たい。
誰にも呼ばれずにお風呂に入りたい。
今日の夕飯を考えたくない。
何をしてほしいかまで、こちらが指示したくない。
現実的すぎる?
子育て中の母親は、毎日何かしらを失って(というより後回しにして)いきます。
(涙なしには読めない昨年の母の日ブログはこちら)
日焼け止め以外のメイクアップ。
好きな音楽をゆっくり選んで最後まで聴く時間。
途中で呼ばれないで何かを完了させること。
大の字でぐっすり眠る夜や二度寝や罪悪感のない朝寝坊。
でも、子育てが終わった側から見ると、その毎日は一生続きません。
本当に腹が立つくらい、あっという間に終わります。
解放感もあるけれど、淋しさもあります。
今では仲の良い夫がいてもね。
私には成人した娘がいます。
今では、母の日とクリスマスと誕生日くらいしか、まともにハグもしません。(元々わたしはハグは苦手だけど)
子供がまだ小さかったあの頃は、いろいろ大変すぎて、不安も沢山あって、楽しいことにもじっくり浸ることもなく、「やるべきこと」を終えるために、ただただ走り続けていた気がします。
それが今は懐かしく&悔しく思い出されます。
子育てとは、なかなか意地悪なものです。
子供の幸せの中に夫はいるのか
子供の幸せを考える時、母親となった日本人は自分の責任を強く感じます。
世界中どこでもそうでしょ?と思いますが、日本人ありがちな傾向に気が付きました・・・
子供の幸せの中に、パパの存在が消えかけている。
つまり、私たちは無意識に全ての監督責任は母親である自分にあると思い込んでフルギアに入ります。
子育ては共同事業と言いつつ、実は夫をスキルのない下請け労働者扱いをしているのには気がついていないです。
でも子供から見たら?
朝おはようと言うだけで出かけるパパ。
週末の買い物くらいしか手伝わないパパ。
言われた時だけお風呂に入れるパパ。
ママが見ていない時の方が、子供と変な遊びで盛り上がるパパ。
母親から見ると、足りないところだらけのどうしようもない人?
でも、子供にとっては、それでもパパです。
母親にとっては不満でも、彼らにとっては「幸せ」「安心」「愛情」なんです。
もちろん、「夫が何をしても許せ」という話ではありませんよ。
母親だけが大人になれという話でもありません。
ただ、夫の育児や分担家事が妻の基準に足りないからといって、夫の存在価値を家庭から消してしまうとどうなるでしょうか?
子供の世界がかなり狭くなると共に、彼らの内面は精神的片親状態に追い詰められるかもしれません。
国際結婚では、父親像も母親像も国や文化によって違います。
何をもって良い父親とするのか。
どこまで家事や育児をするのが当然なのか。
家事と育児以外はサポートではないのか?
子供との距離感はどうあるべきか。
甘やかしているのか?のびのび育てているのか?
視点や立ち位置が違うまま、妻だけが日本式の「良妻賢母」の正解を背負い、夫だけが自国式の「普通」に立っていると、同じ子供を育てながら、別々の国で戦っているようになります。
音のない戦場のような家庭を「普通」と思い込んでしまうかもしれません。
知育玩具より先に子供が学んでいること
子供の将来を考えて、母親はたくさんのことを調べます。
知育玩具、英語教育、習い事、学校選び、食事、睡眠。
もちろん、どれも大事です。
でも子供は、それより前に家庭の中で学んでいる社会生活に適応するための大切なことを学んでいます。
人は怒った時にどうするのか。
疲れた人にどう接するのか。
違う意見を持つ相手とどう暮らすのか。
関係がこじれた後、戻ることはできるのか。
これは、親がレクチャーして教えるものではありません。
日々の家の中で、子供が勝手に吸収していくものです。
だからこそ、夫婦関係は子供の将来と無関係ではないのです。
でも、まだお子さんが小さいか若いなら怖がらなくても大丈夫。
完璧な母親(父親)ではなく、修復できる大人を見せる
夫婦喧嘩をすることはどの夫婦にもあります。
子供の前で言い過ぎることもあります。
疲れて、きつい顔になる日もあります。
私も理想的な母親ではありませんでした。
娘が私にそっくりなイライラ子育てをしそうになると、慌てて引き止めます。
孫でやり直しさせてもらえて、ありがたいような、申し訳ないような気持ちでいっぱいです。
大事なのは、壊れたままにしないことです。
怒った後にいつまでも引きずったり、何もなかったことにする。
理由をはっきり言わずに相手を無視し続ける。
子供の前で夫や誰かを下げる。
陰で相手の悪口を言う。
ダメな理由は伝えても、良い理由や褒めることはめったに言わない。
これが続くと、子供は「夫婦や人間関係とはそういうものだ」と学びます。
自分も誰かにそうしてもいい、そうするべきだと無意識に刷り込まれる可能性は高いでしょう。
一方で、不器用でも戻ろうとする大人を見ることは、子供にとって大きな学びになります。
人は違う意見や違う習慣の人とぶつかる。
でも、ぶつかったら嫌いになって終わりではない。
言い過ぎたら、戻る道を探すことができる。
この感覚は、将来の人間関係の土台になります。
離婚した方が良い場合もある
ここは、きれいごとで済ませません。
離婚した方が良い場合はあります。
繰り返される暴力、暴言、支配、経済的な締め付け、子供への害がある場合。
何度話しても誰が介入しても安全が守られない場合。
その時に、母親が我慢し続ける必要はありません。
でも、夫の育児やサポートが自分の基準や理想に足りないから、すぐに子供から父親を切り離すべきでしょうか?
夫婦の会話が減ったから、この家庭はもう終わりなのか?
そこは、一度丁寧に見た方がいいと思います。
疲れている時、人は極端な答えに惹かれます。
言葉を変えれば白黒思考になりがちです。
全部私が悪い。
全部相手が悪い。
離婚すれば心機一転、苦しみから解放される。
どちらかが我慢すれば全部丸く収まる。
でも現実は、そんなに単純ではありません。
そして、単純ではないからこそ、一人で抱えるには負担が大きいです。
母の日に、子供へ何を残したいか。
知育玩具も、習い事も、教育も大切です。
でも、子供が毎日見ているのは、親同士の関わり方です。
違う文化で育った二人が、どうぶつかり、どう戻ろうとするのか。
母親が自分を消しすぎず、夫を敵にしすぎず、どこで立ち止まるのか。
理解と実践は別です。
頭では分かっていても、自分の夫を前にすると言葉が出ない。
責めたくないのに責めてしまう。
黙りたくないのに黙ってしまう。
それは実はとても良くあることです。
次回は、産後に妻の中で夫が「もう一人の子供」に見えてしまう時、夫婦の間で何が起きているのかを書きます。
一人で考えていると、「私が悪いのかな」「相手がわかってくれないだけなのかな」と、同じところをぐるぐる回ってしまうことがあります。
Doing に少し疲れたときは、Being に戻る時間を持ってみてください。
一人で抱えきれないと感じたら、どうぞご相談ください。























