国際結婚の産後クライシス。夫が「もう一人の(手のかかる)子供」に思えてしまう

国際恋婚円満福ぶろぐ

母の日に悩む妻

産後から数年のあいだに、夫への見方が変わってしまうことがあります。

結婚前は、優しい人だった。
面白い人だった。
日本人男性とは違うところが魅力だった。
頼りになると思っていた。

それなのに子供が生まれた途端、あれ?となる。

オムツのブランドを間違える。
ミルクの作り方を毎回聞く。
子供の服はどれでもいいと思っている。
保育園や学校の書類を読んでいない。
こちらが説明しないと、今なぜ忙しいのかも分かっていない。

そして妻は思うわけです。

この人、大人じゃなかったの?
なかなか辛口ですが、産後の妻の中では本当に起きています。

夫が「もう一人の子供」に感じてしまう時

子育て中の妻は、とにかく忙しいです。

寝不足。
授乳や離乳食。
子供の体調。
洗濯。
買い物。
仕事復帰。
保育園や学校の準備。
日本と違う制度、または外国人夫と日本で暮らす場合の手続きや言葉のサポート。

国際結婚の場合、そこに文化差も入ります。

日本では当たり前のように進むことが、夫には当たり前ではない。
夫の国では普通だったことが、日本では全然通じない。
どちらの親にどこまで頼るか、子供に何語で話すか、行事をどうするか。

決めることが多すぎます。

その中で夫が「なにか手伝うよ」と言ってくる。
一見いいことです。

でも妻からすると、手伝うと言うなら、まず全体を見てほしい。
何をすればいい?と聞かれるたびに、こちらの仕事が増える。

子供にミルクをあげることだけが育児ではありません。
ミルクの残量を見る。
哺乳瓶を洗う。
次の買い物を考える。
子供が飲まなかった理由を考える。
夜の流れを組み直す。

こういう見えない部分を妻が全部持っていると、夫の「手伝うよ」は、だんだん軽く聞こえてきます。

ありがたいより先に、面倒くさいが来る。

そして夫は、妻の中で頼れる大人から、指示待ちの人へ下がっていきます。

妻は寂しいというより、まず戦闘中

ここで「本当は妻も寂しいのです」とまとめるのはまだ早い。

もちろん、深いところには寂しさがあります。
でも産後すぐから数年の妻の大半は、寂しさを味わっている余裕はないです。

今それどころじゃない。
泣いている子供がいる。
明日の準備がある。
洗濯物がある。
自分の睡眠も足りていない。

そんな時に夫が、ねえ最近冷たくない?などと言ってきたら、優しく受け止める余裕はありません。

冷たい?
こっちは毎日燃えてますけど?

そう言いたくなるでしょう。

この時期の妻にとって、夫の寂しさは追加業務に見えます。
夫の機嫌、夫の傷つき、夫の居場所まで、なぜ私が管理しなければいけないのか。

あなたは大人でしょう。
自分のことは自分でやって。
私の負担を増やさないで。

これが本音ですよね。

わたし自身も過去を振り返ると、夫にATM付きお手伝いロボットを求めていた気がします。

「猫の手の方がマシ!」と叫ぶ人もいるようです。
ひどい言い方ですが、産後の現場ではそれくらい余裕がなくなることがあります。

まあ、絶対に現実は「猫の手」よりマシなんですけどね。

夫の孤独は、妻には見えにくい

さて、一方で、夫の方にも孤独があります。

妻が自分を(猫の手か使用人程度にしか)見ていない。
何をしても足りない。
子供の母親としては立派だけれど、自分の妻ではなくなっていく。
頼られているというより、使われている感じがする。

特に欧米圏の夫の場合、夫婦であること、パートナーとして見られること、言葉で気持ちを確認し合うことを大事にします。

もちろん全員ではありません。
でも、日本人妻が「今は子供中心で当然」と思っている間に、夫は「自分はもう夫ではなくなったのか」と感じています。

ここがズレます。

妻から見れば、今は夫婦のロマンスどころではない。
子供が小さいのだから、生活共同体でいい。
ルームメイト上等。まず今日を回す、今日を乗り越える。

夫から見ると、家にはいるけれど、自分の席がない。
妻に近づこうとしても、面倒くさそうにされる。
何をすればいいか分からないまま、だんだん引っ込む。

そして妻は、さらに思います。

ほら、やっぱり使えない。
何も考えていない。
自分だけ気楽ね。

こうして、妻の軽蔑と夫の孤独が、同じ家の中で別々に育っていきます。

「言えばやる夫」が、なぜこんなに腹立たしいのか

夫はよく言います。

「言ってくれればやるのに。」

90%悪気はないです。
本気でそう思っています。

でも妻からすると、この言葉ほど腹立たしいものはありませんよね。

言う前に現状を見て。
言われる前に自分で考えて。
私だって初めての育児をしながら覚えているのに、なぜあなたはいつまでも新人なの。

ここには、単なる家事分担以上の問題があります。

妻は、夫にも同じ必死さを求めています。
同じ親なのだから、同じくらい必死に考えてほしい。
同じくらい先回りしてほしい。
同じくらい家庭を背負ってほしい。

でも夫は、妻が頭の中で何を同時進行しているのか見えていないです。
元々女性の方が並行作業や同時進行は得意です。
男性は苦手です。発達障害やグレーゾーンでなくても得意でない人が多いです。
狩りの途中で買い物リストチェックとかできませんからね。

そして国際結婚では、この「見えなさ」や「必死さ」が文化差によってさらにこじれます。

日本人妻は、場の流れや空気から察することを期待しやすい。
夫は、必要なことは言葉で伝え合うものだと思いやすい。

妻は、言わなくても分かるでしょうと思う。
夫は、言わないなら大丈夫なのだと思う。

ここで妻は疲れ果て、夫は責められていると感じます。

どちらも家族のために動いているつもりなのに、どちらも報われない。

妻が後から感じる寂しさ

産後かなりの間、妻は夫を寂しがっているというより、夫に腹を立てていることが多いです。

この人は頼れない。
この人に任せると余計に疲れる。
期待すると傷つくから、最初から自分でやる。

そうして妻は、どんどん強くなります。

強くなりたくなくても、強くならざるを得ない。そうすれば

家は回る。
子供は育つ。
夫に頼らなくても、なんとかなる。

でも、少し時間がたった頃に、違う寂しさが出てきます。

夫が何も言わない。
会話は相変わらず、連絡事項だけ。相談もないし報告もない。
夫がこちらに興味を示さない。
夫が自分の世界にこもっている。
夫が家にいても、心はどこか遠い。
子供がいなければ話題がない。

その時になって初めて、妻は気づくことがあります。

あれは怒りだけではなかった。
私は夫を使用人にしたり軽蔑したかったわけじゃない。
私は本当は、一緒に親になりたかったのかもしれない。
夫に戦力になってほしかっただけではなく、同じ方向を見てほしかったのかもしれない。

でも、その頃には夫もすっかり引いています。

ここが産後クライシスの怖さです。
大きな事件が一つあるわけではありません。
毎日の小さな失望、軽蔑、諦め、沈黙が積み重なっていく。

気づいた時には、二人ともかなり遠くにいる。

夫を立てましょう、という話ではありません

ここまで読むと、では妻がもっと夫を褒めればいいのか、夫を立てればいいのか、と思う人がいるかもしれません。まあ、快くそれが出来れば越したことはないわけです。もしそれができるなら、是非m今日からそうしてください。

でも、99%はそういう単純な話では解決しないでしょう。

妻が限界なのに、夫を「よいしょ」し続ける必要はありません。
義母の言うように「夫の未熟さを全部受け入れなさい」、という話でもありません。
夫が何もしないままで、妻だけが言い方を工夫すればいいわけでもありません。

ただ、夫が「もう一人の子供」に見え始めた時、その見方が固定されると関係はかなり苦しくなります。

一度、夫を戦力外にした目で見ると、彼に何か手伝いをされても、思いやりを見せられても、何にも感じなくなったりします。
夫もそれを感じ取り、どうせ自分は役に立たない、自分は求められていないと引いていきます。

妻はますます一人で抱える。
夫はますます外側に立ちつくす。

この循環をどこかで変えないと、夫婦は同じ家にいながら、またはどちらかが家を出て別々の人生を始めてしまいます。

来年の母の日に、夫をどう見ているか

母の日に、妻がもっと頑張る必要はありませんし、本来は安息日ですよね。

「夫に感謝しなさい」と言いたいわけでもありません。
「母親なんだから我慢しましょう」でもありません。

むしろ、ここで一度考えてほしいのは、夫をどの位置に置いているかです。

一緒にいると安心できた異性
自立した大人同士。
共同運営者か運命共同体。
指示待ちスタッフ。
大きい(手のかかる)子供。
ATM付きお手伝いロボットか使用人。
いてもいなくても変わらない人。
いないほうがマシな人。

もし、かなり下の方に置いているなら、それには理由があるはずです。
あなたが冷たい人だからではないでしょう。
そこまで夫に失望してきた経緯があるのでしょう。

ただ、そのままにしておくと、夫もその位置に慣れていくか、逃げていきます。

妻は管理者。
夫は外側の人。
子供のことは妻が中心。
夫婦のことは、またいつか。

その「またいつか」は、なかなか来ません。

夫は今、あなたの中のどこにいますか


愛情で結ばれた自立した大人同士。
共同運営者。
指示待ちスタッフ。
大きい子供。
ATM付きお手伝いロボット。
いてもいなくても変わらない人。

もしかなり下の方に置いているなら、そこまで失望してきた経緯があるはずです。あなたが冷たい人だからではありません。
ただ、固定されたままだと、夫もその位置に慣れていくか、逃げていきます。

「またいつか」は、なかなか、もしくは全く来ません。
頭で分かることと、自分たちの言葉で扱えるようになること、行動に移せるかは別です。
特に国際結婚では、同じ出来事でも文化や言葉のニュアンスひとつで受け取り方が大きく変わります。
来年の母の日に、あなたは何を思いたいですか。

 

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