日本青天霹靂軟禁事件に思う1
へきれきってこういう字だったんだ〜(笑)
さて、日本軟禁中の経緯はインスタグラムや前回前々回あたりに書いた通りです。
状況は
母82歳インフルエンザ→意識喪失→自宅で転倒
→腰椎骨折→救急搬送→ラインで連絡入る
→フライト予約→日本へ帰国→介護というか看病
→Australia帰国のためレジデントリターンビザ申請
→厳格化システムに変更!?
→帰国前日になっても下りない
→フライト2週間延期
→これを書いている時点でまだ審査さえもされていない
→帰れない。イベント、仕事、ボランティア、チャリティ予約すべてキャンセル
完全介護覚悟で日本に帰国したものの、実際は
さすがというか、やっぱりね、というか
母は私が着いた翌日には、ゆっくりだけど歩いて退院して、いまやほぼ看病も手助けもいらない状態。
私、いつ帰っても良いのに〜。
でもね、この状況を10年くらい前の私の目を通してみるとこんな感じです。
(永住権保持者なのにこんなに長くかかるなんてありえない。
HPのリンクをたどるまでこんなに期間が長いことや、審査の厳格化についての説明がはっきり出ていないのはおかしい。
120日もかかるなんて人権人道的におかしい、ありえない。
情状酌量の余地もないのはおかしい。
とにかくひどい、ありえない、最低、訴えるべき等などなどなど…..)
目茶苦茶に怒って、イライラして、毎日心配して、あげくの果てにAustralia 大っきらい!になっていたことでしょう。
イギリス大っきらいになった時と同じように(笑)
こんな負の感情ばかりに覆われていては、あの時と同じようにQOL(Quality Of Life)、生活や心の健康は最低、そういえば持病の難病も再発したっけ。
10年前と同じ目で同じ気持ちで、今のこの状況をみたら、ですよ。
比較的ポジティブで、そこそこ面白い人生を送っていた私でしたが、やっぱりまだまだ、〜であるべきだ、〜でないのはおかしい、という抵抗心にガッツリやられていました。
でも今は、もう何でも何とか成るようになる!ことを知ってしまったので
とりあえず手を尽くしたあとは、これはご褒美以外の何物でもないわけで、
そう思うと、心は平安時代(笑)
桜を見るまでいたいとは思わないものの、桜も桜餅もを愛でる余裕もあるある。
夫はいい加減家事にもウンザリして、退屈かもしれないし、わたしもパースの青空と快適な生活、友人達が恋しい時はありますが、まあこの予定が家事と片付けと病院付き添い程度しかない緩さは好きです。
はじめはなぜ2月の極寒期に?と思ったけど、逆に家から出ずにみっちり家仕事ができてよかったとも言えます。晴れてたら出かけたくなっちゃうもの(笑)
案の定春めいてきたら、もうウズウズしています。
いろいろ今回は移民局に感謝しないといけないかも?
かといってもちろん100%全て良いことばかりというわけでは…….
最初のころこそ、私も周りも
まあ、災い転じて福を成すで、お母さんも嬉しいでしょう?
そうです、そうです、諦めていた親孝行のチャンスです。
なんて余裕だったのですが(笑)
次回へつづく
(あとがき)
私のぶろぐってどうしてこう冗長になっちゃうんだろう?
読者のためじゃなくて自分のために書いているから?
読み返してけっこう削っていてもこれだから…