夫や妻(自分以外の人)を思い通りに「変える」という無駄な努力の例外って?
夫や妻(自分以外の人)を思い通りに「変える」ことは努力するだけ空しい…
最初、「努力するだけ無駄」と書いて、「空しい」に書き換えました。
あ、例外があるよね、と思ったからです。まあ、人生に「無駄」はありませんから、すべては経験という学びになります。でも、「空しさ」は感じると思います。
空しさと虚しさ
同じ読みです。意味は同じだという意見もありますが、わたしは少しだけ違うと思います。空虚って書いたら両方含めてあって便利ですが、口語ではあまり言わないですよね(笑)
空しさ・・・空っぽという漢字からもわかるように、意味ないことをしてしまった感じ。いろんな意味で空振りしちゃった感じ、自分がちっぽけに感じて何をするのも嫌になるきもち、あると思ったのになかった、苦労や努力に値する報いがぜんぜんなかった(と感じる)、虚しさとちがって、一時的で限定的。
虚しさ・・・虚ろという漢字からもわかるように、内容がない、ぼんやりとして実体を感じない、気が抜けてぼんやり、何もないところを見つめている感じ、もう何もしたくない感じ、空しさとちがって、後に引く感覚。
辞書では一緒と書いてあるので、これは個人的な考えです。
例外とは?
他人や家族でも、自分以外の人をあなたの努力や才能で「変える」のはこの例外を除いては無理な気がします。アナトミーとか組織的洗脳とかそういうのは例外で。
これも個人的考えですよ。アドラーとかも言ってはいますが、彼の言うことだってツッコミどころは満載です。
さて、私の言う例外とは「本人が変わりたいと思っている」+「あなたが変わる」です。
これはどちらか一つでも「有り」なのですが、「本人が変わりたいと思っている」からといってあなたの態度次第では「あまのじゃく」になって逆効果になることもあります。特に夫婦や親子など近しい関係ではそうなりやすいです。言いなりになるのが悔しいですからね(笑)
だから身内からいくら言われても禁煙できない、ゲームがやめられない、わけ。
相対性理論?
最近の科学者からは支持が薄れてきていますが、まだまだ使える相対性理論。つまり、相手を変えたいならあなたが先に変わること。鏡に映ったあなたの映像が、あなたより先に変わることはないですね?
野口義則さんの著書で有名になった「鏡の法則」は心理学の投影の法則を言っていて、相手はあなたの鏡に映った自分の投影ですというものです。それも一理あるのですが、わたしは鏡に映る相手は、あなたの言動(言葉や態度)に反応している人だと捉えています。
だから、他の人には相手が必ずしも自分と同じ態度やイメージではなかったりすることもあるのです。もちろん、あなたが嫌いな人なら(いや、ほかのみんな彼は変人って言っているから違う)とか(いや他の人からも嫌われている)と反論がたっぷり出るでしょう。それも「みんな」の人数を数えてみるとわかりますが、「みんな」というのがあなたの肯定している小グループを指していることが多いはずです。あなたが自分を肯定するために都合よく作った仮想グループですね。
思い込んでいればいるほど、それは自分の中の事実になります。
逆に好きな人なら、彼は私以外の他人からも好かれていて彼のことを悪く言う人を見たことがない、となります。たとえ親子断絶していても、それは親が悪いことになり、前の上司と上手く行かなくてもそれは上司が悪いことになります。あばたもエクボってね。
相手を「変える」なら、相手が「変わる」のを助けるか・・・
または相手が変わるのを「待つ」ことです。
待てないなら、相手が「変わる」のを助けるには、自分の態度と言葉のほうを「変える」。それが手っ取り早いです。なぜならそれにより相手も「変わる」から。投影の法則、鏡の法則、期待に沿いたい習性・・・
法則なので例外はマレです。(重い精神的疾患とかは例外。発達障害程度なら法則は効きます)
夫婦や友人位では想像するのが難しいので、誰もが経験がある親子関係を想像してみましょう。
もしあなたの親が・・・
あ、お時間が来たのでまた来週・・・
明日は学生に戻る日なので、早起きしないといけないから。ごめんなさい。