日本青天霹靂軟禁事件に思う2
さて、前回の続きでやっと本題(笑)
多分この状況下、一般的には、焦って怒ってイライラして普通だとおもいます。
夫 (オーストラリア国籍、イギリス人だけど)なんぞは、弁護士雇って訴えかねない勢いで怒っています。せっかく下がった血圧が心配(笑)
さて、これを読んでいる人のなかには、同じ様な状況で検索かけてたどり着いた人もいるとおもいます。本当に胸中お察ししたします。では、八方手を尽くした後(前回など参照) のあなたに何ができるか?
参考になればと思い書きます。
まず、この状況を創造した、誘発したのは何か?
オーストラリアの移民法律関係の知識不足は多少あるかもしれませんが、それは置いといて。
「わたしの表層&潜在願望」潜在意識より実現力の強い、「潜在願望」だと思うのです。
(私の潜在願望のせいで腰の骨まで折らせてごめんなさい、お母さん) ですが(笑)
だからこそ、寝たきりにもならず、82歳という年齢からは信じられないと言われたくらいの回復なのです。
母の骨折は、私をここに誘うための天の采配であって、彼女にはほぼ無関係だから。
この事故?が起きる少し前のことを書きます。
私は、RRVの5年有効の権利を得るために、しばらく日本に帰っていませんでした。多分500日くらい。
前回の帰国時はRRVの条件を知らなかったのでまた半年後に戻ってくる予定で、かなり身軽にパースにやってきました。
なので、あれも持ってきたら良かった〜、これも必要だった〜とか、まあ、いろいろ帰りたい理由が溜まってはいましたが、ぐっと我慢。
RRV(Resident Return Visa)の5年有効資格までの730日間はオーストラリアに無理して留まろうとしていました。
だから、母が倒れる少し前、今年に入っては、ああ今日本にいたらなぁと思うことが結構ちょくちょくありました。
(美容院に行きたいとか、置いていった服や靴や教材がパースで必要だったとか、そういうしょうもないことなのですが笑)
もちろん、ここ数年は母の年齢を考えて、
彼女が足腰の立つうちに一緒に旅行でもしよう、
確執を理由に昔から割とドライな関係だったので、(嫌々ではなく) 自分の意思でなにかしてあげよう、
あのまるで通販会社のショールームのようなリビングをなんとか住みやすくしよう、とはずっと思っていたのですが。
あと、ちらっと思ったことがあります。
私は、誰に会う予定、何かに出席する予定、ワークショップや茶話会をやるとかやらないとか、その会場予約とか集客とか、準備とか、会うかもしれない人達へのお土産のこと、を考えないで日本に帰ることって、
したことがない(父が突然亡くなったときでさえも笑)。
ので、
それってどんな感じだろう?楽だろうな~、そんな日が来るのだろうか?
今度からそういう帰国しちゃおうかな?
いまは、お土産がないから会わない、とか、そういうことを気にする友達ははっきりいって1人もいない(はず)。
事前準備万端にしたから、講座に人が集まるか?といえば、逆だったりする。
会場なんてギリギリでもなんとかなるし、経費で消える講座を開くことは私の価値だろうか?それをして今でも楽しいだろうか?
なんてたしかにぼんやりと想像していたのでした。
そして今回、
見事にそれらの願望実現
今回はお世話になった従妹に一つだけ、シンガポールの乗り換え口でお土産を買った以外は手ぶらです。母にさえもない(笑)
ワークショップも茶話会もやる予定はなかったので、予約や集客もなし。セミナー出席予定もなし。
会いたいといってくれる友人達はわざわざ地元まで来てくれる人か、できる限りわたしの出先でついでに会える人に限っているので、社交辞令他で会いましょうという方は自然と淘汰されてくるので、とても良い濃い必然の時間です。
母との旅行は、当初思っていた近場の温泉とか台湾旅行とかじゃなくて、5月に娘の結婚式にロンドンまで母を連れていくことに。
これが母が孫(=娘=閉所飛行機恐怖症)と会う最後かも?とも思ったから(でも今は思っていないけど笑)、医者に聞く前に見切り予約。
だからこれはやっぱり、自分の顕在&潜在願望実現のために誘発された出来事なのだなあ~としみじみ思います。
と、いうことは?
VISAだって、時が来れば(私が願望を実現させてしまえば)出るっていうこと。
まだ、やり終えていないことがあるから出ないのでは?
(ちょっぴり、震災来ちゃったりね〜とも思ったり笑)
またはいつも思っているようにすべては最善のタイミングで起こるので、その最善のタイミングを待っているだけでよいのだな~と。
そんなことを思っていると、今朝(書いている日と投稿日は違うけど) アメリカに住む30年来の友人が、一大ニュースを引っさげて、来週日本に帰国するぞ、と連絡が。
お互い海外暮らしで、すれ違いも多いから、今回会うことも潜在スケジュールにちゃんとはいっていたのか~。
こんな脳天気にポジティブでいられるのも、もちろん最初からそうではなかったから。
普通に劣等感の塊で、ネガティヴでコントロール志向で、昭和の呪いをガチガチにかけられていた内向的な、若い時から喪服が似合う人でした。
そして、今までの経験で、
この自分の頑張りや操縦桿を手放した、無自覚ポジティブ(無印ポジティブと呼ぶことにしよう)が1番腑に落ちるし、
この精神状態が1番平安で、なにより結果がベストであるというのを知ってしまったから。