この世に生まれた使命の続き
続きですよ〜
「人生を最も楽しんで生きる方法を見つけて、嬉しい、楽しい、感謝という幸福感をDNAに刻み込んでから死ぬこと。」
これが使命や義務や約束なのであれば、
他人やメディアで見る戦争や災害は?世界の不幸は?なぜ?どうする?
という疑問が出てくるかもしれません。
反対意見は多いとは思いますが、私は最近のスピ的量子学やACIM(奇跡のコース)の考え方を大雑把に支持しています。
それ(不幸や不運)はあなたやわたしが当事者でない限り、ただの映像
その目的は「自分が幸せで本当に良かった、と感謝するためにある」ものです。
ほら、比べるものがないと自分がどれだけ幸福なのか実感が伴わないじゃないですか?
もし当事者ならば、それは自分に何かを知らせる、教えるためにあるもの。
方向間違ってますよ、とかこれをバネにして到達する目的地があります、とか。
只それだけのために、創造されたものごと。
はっきり言って不幸や不運はいらない、欲しくないですが、実はとてもありがたき光栄かもしれないのです。
だから感謝する前に、それをなんとかしようとか、何とかすべきとか、何もできない無力感にうちひしがれては、不幸が浮かばれない。不幸に失礼です。
誰かの不幸に遭遇したら、
あなたにできることはまず、
(不謹慎と思うかもしれない、いやきっと思うけれども)
それに感謝すること。
それが自分や自分の近くに起きたことではないなら、そのことを心の中で感謝すること。
もし直接起きたことなら、最悪の事態にならなかったことを感謝すること。
最悪だと思っても、必ずもっと最悪であった可能性は考えられるはずです。
例え誰かの不幸に共感したとしても、感謝する。
それは親しい仲であればあるほど難しいことですね。
だから修行が必要なのかもしれません。
私にはまだできません。自分のことならちょっとはできるようになりましたが。
心から感謝できたら、その不幸は御役目を終えて昇華されます。
あとは自分ができることを、自分に求められていることを、できる範囲ですれば良いのです。
自分の幸せだけを感謝し、願う人になんてなりたくありません?
いえ、自分も含めたみんなの幸せは願ってください。
でも不幸や不運で浮き彫りにされたからこそ、自分のたわいない幸せに気がつく事ができたのではないですか?
当事者の快復や幸せを祈るだけでも良し。
全部ひっくるめた世界平和を祈るもよし。
ただし自分を幸福に導くのは自分だけです。他人や世界はその余波でしかありません。
心配しないで大丈夫。
自分ひとりだけが幸福であり続けるなんてありえないから。
最初の一歩の軸は自分。
自分が幸福軸になると、周りも幸福になるのは法則だから。
酸素マスクをつけるのはまず自分から。
(あとがき)
前回の使命もそうですが、後から読み返したり、書きながら、自分で(へぇ〜、そうなんだ)と思うことが時々あります。
わたしという一人称なのに、私ではない、わたしが書いているような。
イタコ体質のトラウマの話しはまた今度書きますが、科学や心理学が追いついていない、今の時点で説明がつかないことはいろいろあるのです。
もちろん過去や最近読んだ本、出た講座の影響も多少はあるかもしれません。
でも少し違うのです。解答が書いてあるフラッシュカードを見せられたように(ああ、そうか!そういうことなんだ)と腑に落ちて、時にはベッドから飛び出してメモを取ったりするのです。
福ぶろぐ全体はスピラブさん向けに書いているわけではないのだけれど、スピ離れやスピヘイトの人には避けられちゃうのが、少し哀しい話題です。
でも好きだから書くわけですが(笑)
説明してわかってもらおうとか、絶対に無理なので、自分に向けてのメモみたいなものです。
これを偶然見つけて読んだ人にだけ、きっと関係することなのでしょう。